スタッフ紹介
いらっしゃいませ!
店長の井上隆と申します。
心を込めて、おいしいお茶をお送りします。末永くご愛顧くださいませ。
ご愛顧ありがとうございます。お客様のご注文に応対しております、井上恵巳子です。
インストラクターとしてお茶の楽しさをお伝えできればと思います!
お茶を仕上げております、  三戸久和と申します。     お客様に喜んでいただける お茶作りをするように     ガンバリます!!

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ちょっとお茶話し
 バックナンバー8  
2007.1.4〜12.3
                                            
NO.77   2007.1.4    

〆〆∞〆〆  茶のルーツを求めて  〆〆∞〆〆
  
 煎茶の出現

今までお茶のルーツを調べてきて
日本のお茶の歴史は、中国からの影響が多くありました。

中国で普及していた「団茶」(塊にしたお茶を削って粉末にして飲む方法)が
日本で奈良時代に伝来してから広まり
江戸時代に、茶道「茶の湯」として千利休、古田織部などの達人が
日本独特の文化として確立して、大きく開花しました。

煎茶は江戸時代前までは、ほとんど見られませんでしたが
やはり、中国(明の時代)からの伝来により始まったようです。
それまでの中国の「団茶」が明の時代に作らなくなり、
「散茶」(削った葉ではなく茶葉から抽出して淹れる方法)
に大きく変革しました。

その「散茶」を日本に持ってきたのが、
黄檗宗の隠元禅師といわれています。

隠元禅師は、宇治で黄檗宗を広めると共に
中国の精進料理「普茶料理」や
明で普及していた「散茶」を日本で初めて
修道生活の中に入れていったようです。

この「散茶」が日本で「煎茶」として普及していきました。
この煎茶は、釜で炒る製法の「釜入り茶」でした。

茶道も煎茶も原型は、中国から来ているんですね。
昔の日本と中国の文化交流の多さがよくわかります。
今日の文化交流からすると考えられませんね。
 
 
 %%%%   風邪予防に茶殻を   %%%%% 
 
いよいよ風邪やインフルエンザが増えてくる時期になりました。
こんなときには茶殻が一番です。
2〜3回飲んだあとの茶殻でうがいをすると
のどに付着した菌を殺すので
茶殻を捨てる前に習慣化すると
安価な強力な予防対策になります。

おかげさまで私も風邪をひいくことなく
感謝しております。

昨年から猛威をふるっています
ノロウィルスにもオススメです。
虫歯予防にもなりますよ。

NO.67   2007.2.3    

全国で平年よりも高い温度が続く中、
地球温暖化が本当に他人事ではなく
私の身近な問題として感じるこのごろです。

自分にできることはほんの些細なことでも
生活の中でできることはないかなと

地球のために
いたわってあげたいな

  
〆〆∞〆〆  茶のルーツを求めて  〆〆∞〆〆
  
 煎茶の広がり

煎茶は、江戸時代の初期に明から渡ってきた
黄檗宗の隠元禅師が日本に持ってきたのが
始まりといわれています。

その後煎茶を普及していった人物で有名なのが
高遊外売茶翁(こうゆうがいばいさおう)でした。
長々しい名前ですが呼んで字のごとし
遊び心で外で茶を売る老人という意味です。

売茶翁は幼少時期から黄檗宗に出家して
61歳まで僧侶として修行していました。
黄檗宗ですから最初に述べましたように
煎茶を隠元禅師が明から伝えましたので
売茶翁も修行の中で煎茶を嗜んだと思います。

僧侶としての生活は、病気がちということもあり
多くの苦行をしたようです。

長い僧侶生活の後、61歳になって僧侶をやめ京都へ移り、
加茂川のほとりで「通仙亭」という
茶店を開き、茶を売る生活を始めました。
茶店といっても質素なごく簡易なお店だったようです。
またお茶道具一式を籠に入れて担いで
寺院を回っては路地で茶をもてなしながら売っていました。

60歳になって僧侶から転身してお茶の販売?
とお思いでしょうが
お茶を売ることを通じてお客様に
なにげなく禅の心を説いたようです。

それは、その当時の僧侶が檀家制度で
檀家からのお布施収入で安逸な暮らしを送ることが
多くなっていましたので
そんな状況にいやけをさしたのでしょう
批判の意味もあったようです。

またその当時、抹茶の茶道が江戸幕府や権力者との
深いつながりがあり過ぎましたので
茶道ではなく、もっと平穏な煎茶を用いたともいわれます。

いづれにしましてもただ煎茶を売って儲けることが目的ではなく
お客とのふれあいで、お茶の心や禅の心を伝えていきました。
そんな姿に多くの人々が感銘し影響を受けました。

今も、生活でお客様との心のふれあい
ひととひととのふれあいが大切なことを
痛感させられました。
お茶の心って大切なんですね。

 
 %%%%   消臭効果にに茶殻を   %%%%% 
 
お茶の消臭効果はご存知かと思いますが
効果は結構ありますよ。

よく言われるのは
乾かした茶殻を冷蔵庫に入れて
庫内の消臭に!

そのほかにも、一日履いた靴の中に
出しパックに入れた茶殻を入れておきますと
次の日の朝は、ほのかなお茶の香りが漂いながら
いやな靴の臭いがすっきり無くなっています。
一日の出発が爽快になりますよ。
NO.78   2007.3.5  

地球温暖化は
私たちの地球の悲鳴では・・
「暖かいのはいい」と思いがちですが
地球が「痛い!」と叫んでる熱が
そうしているかも。
地球の痛みを
みんなで感じて
いたわってあげたいな。

  茶のルーツを求めて  〆〆∞〆〆


煎茶の中興、売茶翁
売茶翁(ばいさおう)が煎茶の普及をしていたのは
江戸時代の中期でした。
このころは、財政が悪化し国全体が
不況状態に陥っている時期でした。
少し前の日本の状況ではないでしょうか。
そんな中、売茶翁は
初期に明から渡ってきた
黄檗宗の隠元禅師が日本に持ってきたのが
始まりといわれています。
その後煎茶を普及していった人物で有名なのが
高遊外売茶翁(こうゆうがいばいさおう)でした。
長々しい名前ですが呼んで字のごとし
遊び心で外で茶を売る老人という意味です。
売茶翁は幼少時期から黄檗宗に出家して
61歳まで僧侶として修行していました。
黄檗宗ですから最初に述べましたように
煎茶を隠元禅師が明から伝えましたので
売茶翁も修行の中で煎茶を嗜んだと思います。
僧侶としての生活は、病気がちということもあり
多くの苦行をしたようです。
長い僧侶生活の後、61歳になって僧侶をやめ京都へ移り、
加茂川のほとりで「通仙亭」という
茶店を開き、茶を売る生活を始めました。
茶店といっても質素なごく簡易なお店だったようです。
またお茶道具一式を籠に入れて担いで
寺院を回っては路地で茶をもてなしながら売っていました。
60歳になって僧侶から転身してお茶の販売?
とお思いでしょうが
お茶を売ることを通じてお客様に
なにげなく禅の心を説いたようです。
それは、その当時の僧侶が檀家制度で
檀家からのお布施収入で安逸な暮らしを送ることが
多くなっていましたので
そんな状況にいやけをさしたのでしょう
批判の意味もあったようです。
またその当時、抹茶の茶道が江戸幕府や権力者との
深いつながりがあり過ぎ
茶道ではなく、もっと平穏な煎茶を用いたともいわれます。

いづれにしましてもただ煎茶を売って儲けることが目的ではなく
お客とのふれあいで、お茶の心や禅の心を伝えていきました。
そんな姿に多くの人々が感銘し影響を受けました。

今も、生活でお客様との心のふれあい
ひととひととのふれあいが大切なことを
痛感させられました。
お茶の心って大切なんですね。
NO.79   2007.4.3  

ようやく 春爛漫
今年は、暖かくなったり
底冷えしたり、急に30度近くになったり
変動がはげしいですね。
これは
私たちの地球の悲鳴では・・
「暖かいのはいい」と思いがちですが
地球が「痛い!」と叫んでる熱が
そうしているかも
地球の痛みを
みんなで感じて
いたわってあげたいな。
〆〆∞〆〆  茶のルーツを求めて  〆〆∞〆〆

 煎茶の中興、売茶翁
売茶翁(ばいさおう)を前回お伝えいたしましたが
いかがでしたでしょうか。
売茶翁は煎茶の祖として
今日の煎茶道への礎となっています。
売茶翁の煎茶を一般庶民に普及した功績をたたえて
宇治市の黄檗宗万福寺の境内の左側に
お堂を作って奉っています。
お堂に隣接して、「有声軒」というお茶席があり
純煎茶のおもてなしをしています。
また隣には、全日本煎茶道連盟の本部もあります。
まさに今日の煎茶道の本山がここにあるという感じです。
売茶翁は佐賀県出身でしたので
佐賀市蓮池町にも顕彰碑を奉っています。
また多くの文人とも交流があり、影響を与えましたので
「売茶翁伝」などの書物も残っています。
なによりも、文人の世界に煎茶の世界が広まったことが
大きいと思います。
また現在でもその影響が残っていまして
「平成の売茶翁」と自称して
お茶の普及をしている方々がいらっしゃりますし、
「お茶のインストラクター」制度で
お茶の普及を
いろいろなかたちで
推進している方々が
多くいらっしゃるのに、つながっているようにも思えます。
売茶翁は、当時としてはかなり長寿でしょう
89歳で世を去りました。
偉業を残した偉大な売茶翁の爪の垢の
ほんの少しでも煎じて飲めるよう
精進精進・・・・・。
NO.80   2007.6.4  

国語辞書で「平和」と調べてみましたら
「おだやかに、おさまること」
と書かれていました。

最近の事件で、家庭での信じられない殺人事件が
多発して、またか、を通り越して
日常の出来事になるようで、恐ろしい限りです。

心の「おだやかに、おさまる」ことがない
まさに平和でない状態が
あまりにも多くなっているようです。

「平和国家」の名前からは
程遠くなるようでしかたありません。

身近な家庭、地域での「おだやか」さを
取り戻せるよう、私も精進していきたいと思います。



 
〆〆∞〆〆  茶のルーツを求めて  〆〆∞〆〆
 
 
 煎茶の祖 永谷宗円


売茶翁と交流し、売茶翁に感銘を与えた人物が
お茶漬けで有名な永谷園の創始者、「永谷宗円」でした。

売茶翁の時もそうでしたが、当時の煎茶が
「生葉を摘んで、釜で炒って揉んで」いた
または
「生葉を摘んで、煮て釜で炒って揉んで」いました。

宗円は、1738年(江戸中期)に
「生葉を摘んで、 《蒸して》 焙炉(ほいろ)と呼ばれる台の上で
拠りながら乾燥させる」方法を作りだしました。

当時のお茶は、どちらかといえば見た目が黒っぽく
抽出しても赤みがあるお茶でしたので
宗円のこの製法ですと、茶葉が緑色で
抽出した色も緑色で、香り、味が今までにないものでした。

当時としてみれば、画期的であり、過去中国でもなかった製法です。
そして、今までは煎茶を煮だしして抽出していたのに対し、
宗円は、急須を用いて抽出しました。
まさに、今日の煎茶の淹れ方jを作り上げたといって過言はないでしょう。


売茶翁が永谷宗円と会ってこの煎茶を飲んだとき
「奇なる哉、妙なる哉、初めて試るに美艶、
清香の極品にて何ぞ天下に比するものあらんや」
と激賞したそうです。
売茶翁の感激ぶりが目に浮かぶようです。

今では、当然のように飲まれている煎茶。
もっと感動して飲めるように
感謝、感謝・・・・。
NO.81   2007.7.3

最近、お茶屋さんで
「ロックdeお茶」 
というポスターを
貼っているのご覧になりましたか。

お茶の消費量が、茶葉からペットボトルへとシフトしがちな中、
お茶屋さんが取り組んでいるのが
この 「ロックdeお茶」 です。

これは、消費者の茶葉を使って飲む
「お茶の葉離れ」が進む中、
少しでも防ごうという狙いから始まりました。
このキャンペーンで
本格的な茶葉の味を
もう一度、見直してもらえることにもなります。

また、ペットボトルを少しでも減らして
環境にやさしい運動に一役かっています。

My箸ならぬ
Myボトルを持って
ロックdeお茶のステッカーを貼っているお茶屋さんに行けば
有料ですが、おいしい冷茶を作って、
Myボトルに淹れてもらえます。
お茶屋さんごとに茶葉が違いますので
当然味も違うので、
「飲み歩き」しても楽しいと思います。
今日は、何件「はしご」できたかたな・・・・・

また、「お茶屋さんにはどうも入りにくくて」
というかたにも、ロックdeお茶をきっかけにして
お気軽に立ち寄ってみませんか。

どうぞ一度、お試しくださいね。 (⌒▽⌒)

 
〆〆∞〆〆  茶のルーツを求めて  〆〆∞〆〆
 
 
 煎茶の祖 永谷宗円


宇治田原の永谷宗円の煎茶は、
先回お伝えいたしましたように
今までの茶色っぽいお茶とは違って、葉も水色も緑色でした。
宗円はお茶売りに奔走しましたが
すぐには、売れませんでした。

そんな中、宗円のお煎茶に目を止め、
絶賛したのが
江戸の商人、
上から読んでも下から読んでも「山本山」の
初代、山本嘉兵衛でした。
1738年山本嘉兵衛は、この煎茶を江戸を中心に販売し、
一気に広がっていきました。

一般庶民に緑色の水色の煎茶が
普及する大きな要素になったようです。

お茶を作る人の情熱と、お茶を販売する人の情熱が結びつき
その情熱がお茶に込められて
初めて、開花したのだと思います。

まさに芸術ですね。
NO.82   2006.8.3
暑中お見舞い申し上げます。
まだまだ暑さが続きますが
お体をご自愛ください。


「ロックDEお茶」 のステッカーを貼ったお茶屋さんに
もう行かれましたか。
お陰様で全国2000箇所が
給茶スポットの加盟店になりました。
ぜひお近くのお茶屋さんで聞いてみてください。

ペットボトルのリサイクルが
一般的に進んでいるように思えますが
実は、ペットボトルのリサイクル率は
なんと4%にしか過ぎないんです。
ということは
96%がリサイクルされないで
よく見られる、道路などでのポイ捨てや
破棄されているんですね。

ペットボトルは確かに便利ですが
今のところ、リサイクルされにくく、
環境にはあまり好ましくありません。

イコロジーが叫ばれていても
まだまだ、程遠いのが現状かと思います。

私たちの出来るところから
ささやかなエコロジー。

自然をいたわる運動に参加してみませんか。


お茶屋さんの 「ロックDEお茶」は
Myボトルを持つことで
環境にやさしい運動に一役買っています。

オフィスや行楽で、
自分だけのオシャレなMyボトルを持って
お茶屋さんに立ち寄ってみませんか。

どうぞ一度、お試しくださいね。 (⌒▽⌒)

ロックDEお茶のサイトもご覧くださいね。
http://www.uji-tea.co.jp/rock/rock.htm

 
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 玉露の発明 山本徳翁

先回お伝えいたしました
永谷宗円が作った緑色の煎茶を
販売して広く煎茶の普及に貢献した山本嘉兵衛は
お茶の販売で歴史を築いてきました。
そして、今日でもお茶の普及に大きく貢献されていらっしゃることには
本当に感謝でございます。

その初代、山本嘉兵衛から100年後の1835年
六代目の山本徳翁は
なんと玉露を発明することになります。

今玉露というと、どこでもお茶屋さんに置かれていますが
玉露の考案は、失敗から生まれました。

徳翁が宇治で抹茶の視察に行ったときのことです。
抹茶の製造過程で、抹茶の原料で「テン茶」を
自分で作ってみました。
テン茶は、煎茶のようなヨリはなく
葉のカケラがそのまま乾燥されたものです。
徳翁がためしに作ったのですが、葉が丸まり、だんご状態になってしまいました。

普通ならここで失敗したことになるのですが
そこが徳潤の違いところです。

だんごになったものを失敗作ではなく新商品と考えたのです。
甘露のごとく玉のようだったので
江戸へ持ってかえり、「玉の露」として販売したら
それが好評になり、現在のようなヨリのある形にして
玉露になったそうです。

失敗で終わっていましたら今日の玉露は生まれなかったでしょう。
失敗は成功の素(母とも)とありますが
失敗の中に成功の要素が入っていると
改めて痛感させられました。
失敗にめげずに、どんどん吸収していきたいですね。
NO.83 2007.9.4

残暑お見舞い申し上げます。

暑さの中にも、
トンボが元気良く
「秋が近いよ」と
飛び回り始めました。



メタボリックシンドローム現象が
話題になっているこのごろです。

食生活で、どうしても栄養過多と運動不足になりがちで
体内脂肪がたまり、糖尿病や動脈硬化へといく危険性のある
現象のことです。

野菜を多くとって、適度の運動を欠かせなくなりますね。

そんなメタボ予防にお茶は効果的です。

お茶は、抗酸化作用があります。
抗酸化作用は、体内の脂肪の酸化を抑える働きがありますので
臓器障害を抑える働きがあります。
またお茶は、コレステロールを抑える働きもありますので
血糖値を下げる作用があります。


ペットボトルのお茶でもいいのですが
お茶の成分が少ないので
何本も飲まないと効果は薄いと思います。

でも、Myボトルに「ロックDEお茶」を入れると
お茶の成分が豊富で、おいしいので
オススメです。

一日の生活を
”メタボ対策に、Myボトルのお茶” でいきましょう。


〆〆∞〆〆  茶のルーツを求めて  〆〆∞〆〆

日本茶が輸出される

江戸時代に、煎茶の普及で
静岡、九州、宇治などでも益々生産されるようになり
江戸幕府の貴重な産業になりました。

そんな中、1858年にアメリカや、オランダ・ロシア・イギリス・フランスと
貿易が始まり、生糸と並ぶ重要な輸出品として、
なんと200トンものお茶が輸出されるようになりました。
現在でも輸出量は、300トン程度ですので、
当時としては相当な量だったと思います。

輸出されていたお茶は主に釜入り茶が中心でした。
江戸時代で、海外でも日本茶が飲まれていたなんて
意外なように感じられますが
当時中国茶の価格が高くて
日本茶に目を向けて、注目されていたのでしょう。


1868年の明治維新後になって、
お茶の輸出量はアメリカを中心に益々増加しました。
これは、政府が茶の生産に力を入れ、
人気のあった「宇治製法」を活かした、
蒸し茶製法が全国に広まっていきました。

今また世界で日本茶が見直され
海外での消費量が増えてきています。

やっぱり、お茶はいいんですね〜。
NO.84   2007.12.3
ご無沙汰いたしまして
申し訳ございませんでした。

最近、メールを書く時間がなかったわけではないのですが
力が沸かなかったのが原因のようです。

一年の締めくくりを皆様のパワーをいただいて
再度続けて参りますので
これからも、懲りずにお付き合いいただければ幸いです。


〆〆∞〆〆  茶のルーツを求めて  〆〆∞〆〆


 美術家 岡倉天心
明治時代の美術家で、岡倉天心という人物がいました。
天心は、西欧文明の波が押し寄せていた、その当時に、
伝統的な日本画を基に洋画の長所を取り入れるという
美術運動を展開しました。
西洋文明の中に埋没しそうな日本の文化を
逆に海外へも発信していきました。

そんな天心が、43歳の時なんとニューヨークで
「The book of Tea(茶の本)」という本を英語版で出版しました。
アメリカでは、瞬く間にベストセラーとなり
その評判がヨーロッパにも伝わり、
後にドイツ語でも出版されるまでになりました。

本の内容は、次回にお伝えいたしますが
日本文化の良さ、お茶文化のすばらしさが書かれています。

世界で名を馳せた「茶の本」は、日本では、悲しいかな
翻訳で出版されたのが天心が50歳に他界してから、7年後のことでした。
それまで、日本で評価されなかったのかは確認できませんでしたが
遅かったのは確かです。

日本文化が、国内で再評価されにくいのは、
今に始まったことではないようです。

お茶の文化、評価が問われているような気がします。


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