スタッフ紹介
いらっしゃいませ!
店長の井上隆と申します。
心を込めて、おいしいお茶をお送りします。末永くご愛顧くださいませ。
ご愛顧ありがとうございます。お客様のご注文に応対しております、井上恵巳子です。
インストラクターとしてお茶の楽しさをお伝えできればと思います!
お茶を仕上げております、  三戸久和と申します。     お客様に喜んでいただける お茶作りをするように     ガンバリます!!

メールマガジン
ちょっとお茶話し
 バックナンバー7  
2006.1.4〜12.3
                                            
NO.66   2006.1.4    
2006年 迎春
 
 今年は、平穏で平和な年でありますよう
            心よりお祈り申し上げます。
  
〆〆∞〆〆  茶のルーツを求めて  〆〆∞〆〆
 
 
 室町時代のお茶
 
新春のはじめも村田珠光(じゅこう)についてお伝えいたします。
珠光の茶の湯は、豊臣秀吉のような絢爛豪華な
茶室でのおもてなしとはまったくかけ離れた世界でした。

簡素であり、素朴で自然体でした。
その根底に禅と通ずる「侘び」という世界でした。
ここに珠光が侘び茶の祖といわれる所以です。

なかなか詫びの世界は奥が深く難しいです。
今後少しずつお伝えしたいと思います。
今までの茶室が10畳以上もある書院造りでした。
書院造りは今でも和風の書斎のような
床の間、飾り棚、書院棚といった造りです。
珠光はこの書院造りを簡素化して床の間だけにして、
広い書院においては,心の落ち着きが得られないと
広さも4畳にしました。
4畳半は珠光から始まったんですね。
道具も唐物のきらびやかなものではなく
簡素な和物にしました。

抹茶を掬う道具の茶杓も今までの銀や象牙ではなく
竹にしました。今日の茶道でも茶杓は竹製ですので
珠光から始まったのでしょう。
簡素、侘びというと何か
みすぼらしいというイメージがありますが
「何も無い」という世界に無限の世界観が広がります。

何よりも珠光は、お客様に、慎み深く、おごらないで
心からのおもてなしてお茶を差し上げることに
すべての中心として置いたからこそ簡素侘びという
無限の世界を築いたのだと思います。
日本の文化は奥が深いですね。
NO.67   2006.2.5    


〆〆∞〆〆  茶のルーツを求めて  〆〆∞〆〆

 室町時代のお茶

またまた村田珠光(じゅこう)についてお伝えいたします。
珠光の名言に
「月は雲間なきはいやにて候」
という言葉があります。
雲ひとつない夜空に燦然とかがやく満月よりも
雲の間から見え隠れしながら時にはぼやけ
完全には見えない月を好んだようです。
完全なものには、それなりにすばらしいのですが
そこには奥ゆかさ、情緒味がなくなります。
それに対して簡素、不足な状態には
不完全ですが、それを充分におぎなう
趣が、味が奥深く現れてきます。

話はずれますが
人間も優秀で完全な人よりも
どこか欠けている人のほうが親しみや親近感や
面白さが感じられるのに通じるのではないでしょうか。
この完全性を否定する姿勢が
侘び茶の中心となる考え方です。
有り合わせの茶道具であても
使い方取り合わせ方を工夫することで
完成されたものより無限の広がりがでてきます。
少しお茶に親近感がでましたでしょうか。

NO.68   2006.3.5  
いよいよ春到来!!!!
生命の躍動を吸収して
私たちの力にしていきたいですね。
 

〆〆∞〆〆  茶のルーツを求めて  〆〆∞〆〆


 室町時代ころの中国茶

室町時代に日本で抹茶、茶の湯が大きく発展していくとき
本家本元の中国では、明の時代に入り、
いままで唐の時代から普及していた「固形茶」の時代から
大きく変革することになりました。

固形茶は飲むときごとに削って粉末にして
お湯で溶かす抹茶のような飲み方です。
その固形茶を明の皇帝であった太祖が変えたと
いってもいいと思います。
固形茶の製造は、最初に摘んだ葉を蒸します。
その後、石などの土台容器に移して搗いて
かなりの圧力をかけて固めます。
この圧力を固めるのはもちろん人の手によって
されていましたので、当時の茶製造に携わっていた農家は
大変な重労働を課せられていたようです。

宮廷への献上茶はすべて固形茶でしたので、
皇帝の太祖は、固形茶を作ることをやめ
散茶を作ることの詔書を下しました。
その後宮廷へ献上していたお茶はすべて散茶になりました。

「散茶」は、蒸してから釜に入れて乾燥させるだけなので
固形茶のように固める必要がなく、作りやすいようです。
この散茶は現在の中国茶の主流にまで発展していきます。
散茶の中から、蒸す工程を省いて
そのまま釜で炒るお茶もこのころから作りだされました。
結局、日本の抹茶のように粉末にして飲む習慣が
中国では減少の一途をたどることになります。
日本の抹茶は日本独特文化になるんですね。

NO.69   2006.4.3  

あなたのところは、桜の花は見ごろですか・・・!
「桜」の語源にはいろいろな説があるようですが
その中のひとつに心をひかれました。

日本の国がまだ神代の時代に
今は富士山に祭られている
「木花咲耶姫(このはなさくひめ)」が人々の幸せを願い
富士山の頂から花の種を蒔いたそうです。
それから日本じゅうでこの花が咲くようになり
「咲耶(さくや)」から「さくら」になったというのです。
桜の花は、寒い冬を越えた時に咲くので
まるで咲耶姫が「よく頑張ったね。」と
いってくださっているように思えます。
慰められますね。

〆〆∞〆〆  茶のルーツを求めて  〆〆∞〆〆

 室町末期の茶の道

以前お話ししました村田珠光が、
簡素な4畳半から侘び茶をはじめましたが
珠光の侘び茶をさらに完成段階にもっていったのが、
その後あらわれた武野紹鴎(じょうおう)でした。
武野紹鴎は、侘び茶の基本として、
「足らざることに満足し、
慎み深く行動すること」を説きました。
そのため、貴族の間で使用された
瓦屋根の煌びやかな書院造りをさけ、
百姓家で一般的だった藁屋根を使用し、
四畳半に炉を切って茶室としました。
炉を切る作法は、紹鴎から本格的にはじまったようです。

茶道具は、唐物の茶器ではなく、
その当時、日常雑器と使用していた信楽、備前、瀬戸などの
雑器のなかから茶道具として代わりに選んで使用しました。
紹鴎も高価な象牙の茶杓ではなく、竹茶杓を使用しました。
つまり、道具よりもまずは心の持ち方であることを
自ら実践しました。

今日茶道がとかく、高価な茶道を使用する
高貴な感じが強い風潮がありますが、
紹鴎の茶の湯の原点、足らないことに満足して
慎み深くありたいと私は思います。


Q Q Q Q Q Q  認知症に緑茶が Q Q Q Q Q Q

緑茶が認知症の予防に一役買ったようです。
東北大学大学院で、70歳から90歳代の男女の方々を
対象に認知症の研究をしました。
結果、緑茶を週間3杯以下の比率を1.0とすると
週4〜6杯が0.46 一日2杯以上が0.46ということでした。
毎日緑茶を2杯以上飲むと認知症になる確率が
半分以下になったんです。
緑茶のカテキンは、脳の神経細胞の損傷を防いだり、
NO.70   2006.5.4  
全国、新茶のシーズン真っ盛りですね。
もう召し上がりましたか。
旬の味は最高ですよ。
ゴールデンウィークをごゆっくり
新茶で過ごすのも風情があって
オススメ!!

 
〆〆∞〆〆  茶のルーツを求めて  〆〆∞〆〆


 室町末期の茶の道

今回は、武野紹鴎(じょうおう)PART2です。

紹鴎がわび茶を大成させて行くうえで
大きく影響を受けたのは連歌でした。
なかでも藤原定家には大きく影響を受けたようです。
有名な一句に
「見わたせば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕暮」
があります。
 (海岸の景色を見渡すと、春の花や秋の紅葉というような
  情緒深いものは何一つ無い。
  あるのは海岸の魚師の粗末な小屋のあたりの
  秋の夕暮れの侘しい景色だ。)

華美なものとは無縁な誰もが何の感情ももたずに
見逃してしまうような花も紅葉もない海浜の貧弱な小屋に
迫る秋の夕ぐれの中に
趣き深い美しさを感じたならば、
それが「わび」の美であるというのです。
この一句に茶道の精神が凝縮していると紹鴎は感じたようです。

豪華絢爛ではない藁葺き屋根の茶室と質素な茶道具のなかで
心を込めてお客様をもてなし、趣をこらしたのでしょうか。
静寂で、心の奥底から落ち着く世界が
紹鴎にとってなによりもかえがたかったのでしょう。

NO.71   2006.6.4  

〆〆∞〆〆  茶のルーツを求めて  〆〆∞〆〆

 安土桃山時代の茶の道

いよいよ大御所の千利休の登場です。
千利休は、今の大阪泉堺の
魚問屋の田中与兵衛の長男として生まれました。
名を田中与四郎といい、
小さいころから茶の湯を嗜んでいたようです。

19歳のときに、武野紹鴎の弟子として師事することになり、
草庵の茶、侘び茶を学びました。
紹鴎は、与四郎の力量を認めていました。 
たとえば、紹鴎の四畳半の茶室が出来上がった時、
そのお披露目の茶席に、堺の文化人ではなく、
呼ばれたのは、
与四郎たった一人であったという話も伝わっています。
そこで与四郎は、数日の暇をもらい、
僧侶が着る法衣を用意するために、
わざわざ京都に走り、急いで戻りその茶会に臨みました。
これを見て、紹鴎は大いに満足したということです。

20歳そこそこで、自分自ら心を込めて茶の湯に望む姿勢が
すばらしかったのでしょうね。
 
  %%%%   茶殻の佃煮   %%%%% 

最近日本の「もったいない」という言葉が海外でも
クロズアップされていると聞きました。
昨年、小泉首相が「もったいない精神」を語ったように
日本の文化といってもいいのではないでしょうか。
そこで今回、お茶を飲むなら「もったいない」を発揮して
飲んだあとの茶殻を活用してはと、ご提案しました。
茶殻と聞くと「そんな・・・」と思われるかも知れませんが
これが茶殻なの?とびっくりされる逸品をご紹介します。
今回は、「茶殻の佃煮」です。
材料
  ・茶殻30g程度
     (3人分のお茶を出した後の茶殻2回分程度)
     できれば新茶がオススメ。
     茶葉が柔らかいのでおいしいです。
  ・水900cc
  ・砂糖小さじ山盛り1杯
  ・醤油小さじ1杯
  ・味噌小さじ1/2杯
作り方
  1.まず茶殻はしっかり水気を絞っておく。
  2.フライパンに上記の材料を入れて煮込みます。
  3.煮込んで水気がなくなったらできあがり。

茶の色落ちはしますが、普通の佃煮と何も変わりません。
そっと作って食卓に出すと、きっと誰もわからず。
「おいしい佃煮ね!これなーに?」と聞かれ。
「また作ってね」とアンコールされることでしょう。
NO.72   2006.7.3

〆〆∞〆〆  茶のルーツを求めて  〆〆∞〆〆
  
 千利休パート2
 
千利休の家は、裕福だったかといいますと、
かえって貧しかったようです。

貧しい環境で育った利休は、
茶の湯に当然お金をかけられませんでした。
開くお茶会は、当時の豪商が開くような
唐物の豪華な道具や飾りや豪勢な懐石料理を出すものとは
まったく正反対のものでした。
床には掛け物も掛けず、唐物茶道具ではなく
初級者が使用するような簡素な道具でした。

料理も「一汁三菜」といって、
1つの汁物と3種類のおかずでした。
おかずといっても、お魚と後は
根菜類の野菜をメインにしたもので
ほんとうに簡素なものでした。

このようなお茶会を「侘数寄」茶会といって
当時の一般庶民、貧しい茶人にとってかえって受け入れやすく、
簡素な侘びの茶会の中に、
お客をもてなす心が中心にあったからこそ
広まったのでしょう
利休が以降豪商になっても、けっして忘れることは無く
根底にこの侘数寄の茶会があったからこそ
多くの人たちに受け入れられたのでしょう。
 
  
 %%%%   茶殻の脱臭効果   %%%%% 
 
「もったいない」精神の利用法の続きです。
毎日のお掃除で掃除機を使用していますと
排気口から出てくる空気が、臭うことはありませんか。
そんな時には、茶殻の脱臭効果が役に立ちます。
茶殻は絞って水気を取って2〜3回分ほどためておきます。
普段のように、掃除機で掃除するとき
茶殻を吸わせてしばらくしてから破棄します。
そうすると、ビックリ!
排気口の臭いがなくなるんです。

茶殻もきっと
「お役にたてて、本望!」と
            喜んでいることでしょう。
今売りだされている掃除機にも
茶カテキンを使用したものもありますので
一度お試しあれ!!
NO.73   2006.8.3
〆〆∞〆〆  茶のルーツを求めて  〆〆∞〆〆
 
  千利休パート3
 
千利休が茶会の世界で認められるようになって
織田信長と豊臣秀吉に茶頭(さどう)という重臣として
重用されました。

しかし、政治の世界とお茶の世界があまりにも交わりすぎて、
信長時代の一国を争う茶器騒動や秀吉の豪華絢爛茶室という
茶道本来の侘び茶とは無縁の世界になってしまいました。

そんな状況を一番嘆いたのは利休本人だったと思います。
利休は、「待庵(たいあん)」という二畳敷の小さな茶室を作りました。
四畳よりもさらに小さい二畳茶室は、まさに簡素で装飾ひとつない
侘び茶の世界でした。

入口は、間口が狭く低位置にあります。
頭を下げて這うような形にならないと中に入れません。
どんなに偉い人であっても、茶の世界に入るには
頭を下げて謙虚になるようにしたのでしょうか。
また二畳ですと刀をはずさないと入れません。
お茶の世界では、身分の上下関係はありません。
また二畳という狭い空間に3人〜5人が入ると
否応無く顔を突き合わすような状態になり、
人と人との心の壁も当然なくなり
和の世界を演出したのでしょうか。
この待庵は、今日、国宝として保存されています。
やはり本物は残るものですね。
 
 %%%%   茶殻の入浴剤   %%%%% 
 
エコロジーの茶殻活用法。
最近お茶成分入り入浴剤が多く販売されていますが
茶殻でも十分に入浴剤として活用できます。
茶殻3〜4回分をためて、出しパックや、
古いストッキングに入れて
入浴時に軽く湯船で揉むと
じわじわっと緑茶成分が浸透して
肌がすべすべ、茶の香りでリラクゼーションも味わえ、
気分爽快になります。
 
 
NO.40   2003.9.4
ようやく暑さが和らいできました。
この夏は本当に暑かったですね。
 
いつも思うのですが、
この暑い熱エネルギーを貯蓄して
寒い冬になったら
この暖かさが仕えればなあ・・・と
 
  
〆〆∞〆〆  茶のルーツを求めて  〆〆∞〆〆
 
 
 千利休パート4
 
利休の和歌に
「茶の湯とはただ湯をわかし茶を点てて
 のむばかりなることと知るべし」
という句があります。
 
茶の湯は、一般的に、
茶道を習う人たちのもの、
気難しい、かしこまったもので
なかなかやりにくいなあ・・・
と敬遠されがちですが
 
利休のいうように
もっとリラックスして、普段の生活のように
お湯をわかしてお茶を点てて、
お客様が訪れたときに
なにげなく差しあげる、そして自分もいただくという
親しみがあるものなんですね。
自然体、自然体・・・
お茶を通じて、その場が和み、安らぐなんて
リラクゼーションのきわみのような気がします。
 
 
 
 %%%%   茶渋落とし   %%%%% 
 
慣れ親しんだ湯のみなど
よく茶渋がつきますね。
そんな時は、どうしてますか。
漂白剤で・・・となると
終わったあとの漂白剤が環境にあまり良くないですよ!
そんなときは、これがオススメ!!!
 
用意するものは 茶殻と塩少々
お料理ではありません。
 
茶殻と塩少々を混ぜて
茶渋のついた食器をこするんです。
なんとふしぎ
茶渋がきれいに取れるんです。
お茶で茶渋が取れる・・・・。
環境にもいいし、一級両得ですね。
 
 
 
NO.42   2003.11.6
お元気ですか
 
秋が深まり、いつの間にか今年も2ヶ月ですね。
札幌では、"雪の知らせ"の白い妖精「雪虫」が
「もう少しで雪が降りますよ」と
一生懸命メッセージを送って
"雪綿"をお尻につけて舞い始めました。
皆さんのところは、いかがですか。
 
当店は札幌の札幌ドームに近いので
先日の日本シリーズは、外の寒さなんのその。
燃えました・・・・・。
体内の細胞一つ一つが
生き生きと活性化されたような気がします。
 
 
 
〆〆∞〆〆  茶のルーツを求めて  〆〆∞〆〆
 
 
 古田織部
 
千利休の時代に、武士階級の中で侘び茶、
茶の湯が浸透していきました。
大名の中でも当然感化された人が多くいました。
その中で異名を放ったのが、古田織部です。
 
織部は、信長、秀吉の安土桃山時代と徳川時代初期まで
重臣として仕えた大名でした。
利休の侘び茶を継承しつつも独自の茶の湯の世界を
作り上げていきました。
 
「織部焼」を聞かれたことがあると思いますが
この焼き方が古田織部の趣向でつくられました。
 
利休の茶碗は、黒を中心に質素で簡素な
侘び茶の代表格となりましたが
織部焼きは対照的に、
開放感あふれる自由な世界観でした。
従来の整った茶碗から、
三角に変形したものや飲み口が極端に広げられたものなど
今までにない斬新なものをつくり、茶の湯に衝撃を与えました。
織部は常に自由に新しい創造力を注入して、
新鮮さをかもし出すことで
お客を喜ばせ、もてなしの心を表したようです。
 
侘びの利休とは対照的な自由で明るい
開放的な織部の"おもてなし"。
でも、「お客を喜ばせたい」という心の衝動が中心であることは
利休も織部も変わらなかったのではないでしょうか。
 
  
 %%%%   魚料理にお茶を   %%%%% 
 
鮪や鯵、鯖、鰯などの魚は、それぞれ独特の香りがします。
好きな方はいいのですが、少し苦手の方にはオススメ・・・・。
 
刺身にするときは、冷ましたお茶でさっと洗って見ましょう。
こうすると、カテキンの作用でぬめりや生臭みがなんと和らぐんです。
焼き魚にする場合は、焼く寸前に茶洗いすると、
少しやわらかくなるような気がします。
もちろん臭みも和らぎます。
 
スーパーなどでも、魚の干物でお茶に一度浸した商品が
販売されているんですよ。
 
どうぞお試しください。

NO.42   2003.12.3
2006年もいよいよ残りわずかですね・・・
 
時間はゆっくりと進むパターンと
あっという間に進むパターンがありますが
あなたはどちらですか
 
よく充実感や幸福感があるときは、記憶に残り
時間がゆったりと進むといいますが
 
今年は私的には、
早かったかなと思います。
ということは、・・・・
 
でもまだ一年の締めくくりはあります。
気を大きく持って向かっていきましょう
と自分に言い聞かせています。
 
 
〆〆∞〆〆  茶のルーツを求めて  〆〆∞〆〆
 
 
 古田織部
 
先回は、古田織部の自由闊達な茶碗をお伝えしましたが
今回は、茶室などです。
茶室では、千利休のときは切り詰めて
四畳半以下の広さが主でしたが
織部は広さに固執せずほどよい広さにしました。
床の間の脇壁には、「織部窓」と呼ばれる窓を設けています。
この窓で今までより明るさをうまく取り入れて開放感が増しました。
なかには10箇所も窓を作った茶室もあり、
利休のなるべく光を閉ざす茶室とは対照的でした。
 
また、露地(庭園)も、
利休の閑寂で人の気配が少なくして
その世界に閉じ込めるのとは反対に
眺望が少しきくように赤い実のなる樹木などを植え、
華やかさをいれ、景観を明るくして
ある程度外に向かって開かれたものにしました。
 
「利休七哲」といわれる利休の弟子たちの中で
忠実に利休の伝統を守った弟子たちがほとんどの中、
織部は伝統を守りつつも
織部独特の世界を築いていったところは
以降の茶道に多くの影響を与えました。
 
今日の茶道も、ある意味で原点に返りつつも
独創性と多くの人たちに受け入れられる
新たな展開が必要な気もいたします。
勝手なことばかり言ってますがね・・・
お許しください。
 
%%%%   水虫にお茶殻を   %%%%% 
 
これからの冬に女性にはブーツが必需品になりますが
ブーツをはいて、一番の心配事は
「水虫にならないかしら」
ではないでしょうか。
そんなときにはこれがオススメ!
お休みになる前に
茶殻をパックに入れて
洗面器等にお水またはお湯で抽出します。
そこへ足を入れて1分ほど浸して、おしまい。
あとは足を水で洗わず拭いてください。
お茶の強力な殺菌作用で水虫を退治します。
水虫になっていなくても予防にもなります。
またお肌がすべすべになります。
ブーツを履いている期間は
ぜひ続けられることをオススメいたします。
 

バックナンバー6 バックナンバー8
トップページへ

 
 
 
 
 

Copyright(C)2000-2006 Ujiseitya Corporation All Rights Reserved.