スタッフ紹介
いらっしゃいませ!
店長の井上隆と申します。
心を込めて、おいしいお茶をお送りします。末永くご愛顧くださいませ。
ご愛顧ありがとうございます。お客様のご注文に応対しております、井上恵巳子です。
インストラクターとしてお茶の楽しさをお伝えできればと思います!
お茶を仕上げております、  三戸久和と申します。     お客様に喜んでいただける お茶作りをするように     ガンバリます!!

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ちょっとお茶話し
 バックナンバー6  
2005.1.6〜8.4
                                            
NO.56   2005.1.6    
    
                   〆 謹賀新年 〆

     昨年はご愛読いただきまして
     ありがとうございました。
     今年もがんばっていきます。
     皆様の暖かいご意見を
     お待ちしてま〜す。

@@@@ ちょっと変わった しずく茶はいかが @@@@@


昨年の11月に静岡で開催された「世界お茶まつり」には
老若男女の多くの方々がこられました。
あらためてお茶に関心があるんだな〜と感じました。

その中で長蛇の列を作っていたのが玉露のコーナーでした。
普段あまり飲まない方やいつも飲んでいる方でも
「こんなお茶ははじめて」「いつもの飲んでいる玉露とは違う」
「入れ方次第でこんなにも違うですね」など
さまざまな反響があったようです。

玉露は入れ方が面倒なので敬遠されるかたが多いと思うのですが、
入れ方を覚えて味わうと
また飲んで見たいと思うのではないでしょうか。
玉露のひとつの入れ方で、「しずく茶」はいかがでしょうか。
玉露の濃厚な甘みが口の中に充満して
量はわずかで少ないですが一口飲んだだけで
至福の喜びを感じると思います。
しずく茶は、名前のごとく、しずくの1滴1滴を飲むお茶です
普通一般のお茶は急須を使用しますが
しずく茶は急須を使わず、小ぶりの湯のみ茶碗でフタのあるものか
フタに代わるものがあればOKです。

最初に湯のみ茶碗に玉露を4g(茶さじ1杯)程度、山形に入れます。
普通の煎茶は2g程度ですので2倍ほど使用します。
そこに体温程度のお湯
(40度 触ってあまり熱さが感じられない程度の温度)
を20CC(茶葉の山がお湯に隠れない程度)
周りから注いでフタをして2分ほど待ちます。
この時間が長く感じるのですが、待てば海路の日和ありです。

飲むときは左手で茶碗を持ち、
フタをとらずにほんの少しずらして開け、
右手で軽く押さえながら水滴のしずくをいただきます。
トロリとした甘さとふくよかな味わいがいただけます。

二煎目は、フタをとって一煎目くらいの温度のお湯を
20CC入れてフタをして2分待ちます。
三煎目目は50度のお湯で同じようにいただきます。
最後に残った茶葉の中に
少量の酢醤油を入れて食してください。
酒の肴にも合いますよ。
玉露を入れて、ゆったりとした時間を
是非一度持ってみてはいかがでしょうか。
http://www.uji-tea.co.jp/irekata/sizukutya.html

                                             
NO.57   2005.2.6    

 さっぽろ雪祭りが始まりました。
来年から自衛隊さんのご協力が少なくなるということで
大雪像の制作も今年市民参加型がすこし増えました。
札幌へお越しの際はご連絡くださいね。
見所、食べどころをお教えしますよ。

〆〆∞〆〆  茶のルーツを求めて  〆〆∞〆〆

今回は中国宗の時代に日本へ・・・

平安の時代に遣唐使を派遣して多くの政治、文化、学問を
吸収していましたが、900年ころ唐の国が衰退して荒廃してくると
遣唐使の派遣の危険性と経費の負担などで
遣唐使が廃止されてしまいました。

遣唐使の派遣が途絶えて日本のお茶の普及も
しばらく低迷してしまいました。
鎌倉時代になり、そのころ中国は宗の時代に入って
ふたたび交流がはじまりお茶もふたたび普及しはじめました。
そのなかで、栄西という僧侶が、宗の時代に広がっていた
点茶(蒸して乾燥して抹茶のように粉末にしたお茶)を
持ち帰って茶の種子を植え、栽培しながら広げていきました。

これがその後の抹茶へと発展していくことになります。
中国ではこの点茶製法は、この宗の時代で普及しましたが
なんとその後は衰退して現在の中国でも
作られていないということです。
もし栄西禅師が伝えていなければ、
今の茶道もなかったでしょうし、
世界からも消滅していたのかもしれません。

栄西禅師ありがとうございます!。

NO.58   2004.3.4  

〆〆∞〆〆  茶のルーツを求めて  〆〆∞〆〆

茶の開祖 栄西禅師パート2・・・

先回ご紹介しました抹茶法の伝道者、栄西禅師の続きです。
茶の伝来は今まで書きましたように
栄西以前の僧侶が中国から伝えているのですが、
栄西が「茶の開祖」とよく言われています。

これは栄西が、有名な「茶は養生の仙薬なり。延命の妙術なり。」
ではじまる「喫茶養生記」を書いたのが影響しているようです。
お茶に関する最も古い書物を書いたことによる
功績は大きかったことが伺えます。
栄西の面白いところは、
現在の茶道のような「茶の精神」については書かず、
「茶の知識や養生としての効能」を重要視した点だと思います。
茶は、眠気を覚まし、酒を覚ますとあります。
また茶をしばらく服すれば羽化するとも書かれています。
羽化とは、快活な気持ちになった羽を持つ仙人のようになることです。
お茶を飲んで飛ぶようになるとはいかにも大げさな表現ですね。
昔の人は、感性が鋭かったのでしょうか。

また病を払い、消化を助け、利尿に効果があるとも書いています。
このような内容は中国から学んだことが大きかったと思いますので
中国のその当時の分析がいかに科学的だったかが伺えます。
またお茶を飲む中国人は飲まない日本人より
はるかに長命だとも書いています。
お茶をもっともっと飲んで健康を維持しましょう。
NO.59   2005.4.6  

愛知万博開催おめでとうございます
地球環境問題に取り組んだはじめての万博。
歴史的なの1ページ 大成功にすすめていきたいですね。

〆〆∞〆〆  茶のルーツを求めて  〆〆∞〆〆

茶の開祖 栄西禅師パート3・・・
今回で栄西禅師のお話しは最終回です。

先回ご紹介しましたように栄西禅師はお茶の新しい飲み方として
抹茶を広めたこと また効能を細かく研究して本に書きました。
有名なお話しですが その当時の鎌倉時代の将軍郡源実朝が
二日酔いで苦しんでいるとき
栄西は「茶の徳を誉むる所の書」を献上したそうです。
当時二日酔いをなおす方法はなく、ほかの僧侶ならせいぜい
護摩を焚いてお祈りするぐらいで、
あとは時間が解決してくれる程度でした。
栄西はこの書でお茶が二日酔いに効くことを書いており
実朝はこれをもとにお茶を飲んで二日酔いがさめたとか。
実朝は感動して、お茶の栽培を奨励しました。

これ以来お茶が武士階級に広く浸透していくようになりました。
この時代の武士には、地方農民もかなり多くいたので
農民階級へも波及して、
一般庶民へと広く浸透していくことになりました。
普及のきっかけが「二日酔い」だったんですね。
NO.60   2005.5.3  

待ちに待った新茶の季節到来です
今年は、全国的に霜被害もなく
寒暖の差によっておいしい新茶ができました。

〆〆∞〆〆  茶のルーツを求めて  〆〆∞〆〆

茶の内面を広めた 道元・・・

前回まで、鎌倉時代に抹茶のはじまり「茶の喫茶」を
広めた栄西禅師についてお伝えしました。
今回は、栄西のあとに中国の当時の宗へ渡った道元です。

道元はご存知のように宗で禅宗を修行して
日本へ帰ってから曹洞宗を広めました。
道元は、宗で盛んであった茶のありかたを
詳しく調べていました。
道元の時も抹茶でした。
日本に帰ってからの書物に「茶礼」と言う言葉を使用しました。
「茶礼」は、仏教の修行の時と仏様へのお供えとして
献茶する内容を法としてあらわしました。

現在でも仏様にお茶をお供えする習慣がありますが
道元がはじめたことだったんですね。
NO.61   2005.6.3  
       

いよいよ太陽の日差しでお肌が気になる季節になりました。
紫外線対策にお茶も一役買いますよ。
抽出した緑茶のエキスを脱脂綿などで肌につけてください。
肌はすべすべになりますし、保護にもなります。
どうぞお試しを・・・


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 道元パート2

どうも歴史のお話しばかりで
もやもやしませんか。
すみませ〜ん。

鎌倉時代の僧侶の道元が現在の抹茶の作法の
源流をつくったようです。
ですから鎌倉時代のお茶を飲むのは抹茶でしたし、
僧侶が中心になって修行の一環として
作法がありましたので茶礼や礼儀が
お茶を通して、生活の中に広まったのでしょう。

僧侶と接触していた当時の武家社会にも
抹茶を飲む習慣が浸透したようで
武家社会の礼儀作法の礎にもなったのではないでしょうか。
しかし一般庶民にはまだまだ高嶺の花で
浸透していなかったようです。


☆★ 「眠りひめ」のお茶話し ★☆

今年の夏にとっておきの飲み方をオススメいたします。
ある包装資材のメーカーさんの企画で
「ねむりひめ」というネーミングで
お茶の飲み方が出されました。

材料
  こさじ山盛り1杯のお茶
      (なるべくおいしいお茶)
  急須
  氷(5個程度)

作り方

  夜に急須に茶葉と氷を入れて
  そのまま冷蔵庫に閉まってください。
  茶葉がゆっくりゆっくり夜眠っているあいだに開きます。
  あとはお目覚めの朝に湯のみに
  搾り出すようにいれてください。
  飲む量は少ないですが
  今までにない濃厚な味に
  びっくりされると思います。
  
  朝のお目覚めの
  あなただけのために
  ちょっとしたごほうびを・・・
 
NO.62   2005.7.6
札幌では、「サマータイム」2年目を迎えました。
1時間早めの仕事はじめと1時間早めの退社。
その後の余暇の時間が長く、
何か少し得したような気分になれます。
皆様のところでもぜひサマータイムを広げませんか。
  
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 室町時代のお茶
 
道元以来、お茶の普及は僧侶から
武家、公家社会に広まっていきました。
そんな中、中国の宗から伝わってきたのは
「闘茶」という遊戯でした。
お茶を飲んで闘うんじゃありませんよ。
今でいう「利き酒」のようなものでした。
お茶の産地、水の地名を飲んで当てる遊びです。

室町時代の銀閣寺のような広々とした庭園の中で
亭主が招待された客に抹茶を振舞いながら
1回2回と何種類かの違うお茶を出します。
なかには10種類程度のお茶をだしたそうなので
飲むのも大変ですし、当てるのも大変だったでしょうね。

この闘茶が、結構盛り上がって
それが高じて、賭け事までになってしまったようです。
当時の幕府が賭け事禁止条例を出したくらいですから
よほど激しかったのでしょうか。
しかし闘茶がある意味でお茶の広がりを助けたのかも知れません。
茶産地も当然全国各地に広がっていきました。
 
NO.63   2005.9.4
残暑お見舞い申し上げます。

そんな中ですが、空気が秋を感じるこのごろです。
小さい秋見〜つけた。
北海道のサンマは
今年は油がのっておいしいですね。
猫の額ほどの庭で、さつまいも、枝豆などの
収穫がたのしいこのごろです。


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 室町時代のお茶

前回に「闘茶」によってお茶(抹茶)が
広まっていったことを書きましたが 
僧侶階級、武士階級ばかりでなく、
一般庶民の間においても
簡単に飲まれるようになってきました。

寺の門前において抹茶を客に売る人や、
町角において「一服一銭」と呼び声を発てて
茶の立ち売りする人など、新しい商売が生まれていきました。
それが進んでいって後々には店を構えるようになり、
茶店へと進んでいくようになりました。

でも、そうした処において出される抹茶は、
僧侶階級や武士階級の上質のような抹茶と違って
粗末なものだったようです。
茶筅で泡を立てても、その泡が直ぐ消えてしまいます。
「その早きこと雲脚クモアシの如し」と云うところから、
そんな茶を「雲脚ウンキャク」と云ったほどです。
しかしお茶として広まっていく原動力になったのは確かです。

全然違うと思うのですが
今日、ペットボトルで緑茶が広まっているのと
なぜかダブってしかたありませんが・・・・
でもお茶が飲まれることには、大歓迎です。
NO.64   2005.10.4
〆〆∞〆〆  茶のルーツを求めて  〆〆∞〆〆
 
 
 
 室町時代のお茶
 
 
お茶が普及するにしたがって、
茶室や庭園なども同時に発展していきました。
 
室町後期の銀閣を代表する書院造(しょいんづくり)が
今の和室の源流とも言えるのではないでしょうか。
床の間以外はほとんと装飾がなく
四畳半の茶室の空間が幅広い世界をつくりました。

床の間には、掛け軸が飾られ、
禅宗文化の影響を受けた山水画が
白黒で無の宇宙と沈黙の世界を描き、茶室をより
神秘な、そして簡素でわびさびの世界をつくったのでしょう。

庭園は、枯山水(かれさんすい)という
水を使わず、砂と石で自然を表現する手法です。
竜安寺が有名ですが、白砂と置石が人の心を
瞑想の世界へ連れて行ってくれます。
簡素であることが、
かえって無限の創造世界をつくるのではないでしょうか。

そんな素朴で静かな環境のなかで一服するお茶は、
どれほど平安とやすらぎを与えていたのか、
当時の世界へ思いをはせてしまいます。
あまりに物があふれ、あわただしくなりがちな今日の時代に
わびさびの世界は、かえって新鮮さと日本人本来の生活に
立ち返るのに大切な世界のように感じます。
 
NO.65   2005.12.4
〆〆∞〆〆  茶のルーツを求めて  〆〆∞〆〆
  室町時代のお茶
  当時のお茶は抹茶でしたが
抹茶、茶道といえば千利休が有名ですね。
ですが茶道を体系化したのは、
利休より以前の室町時代の後期に活躍した
「村田珠光(じゅこう)」という人物でした。
珠光は僧侶でしたが、
当初貴族階級で流行っていた闘茶に入り浸って
寺の仕事を疎かにしてしまい、
寺から追放されてしまいました。
その後、改心したのでしょう、よく知られている一休禅師のもとで
修行して悟りの境地に入りました。
「茶とは、遊に非ず、芸に非ず、ただ禅悦の境地にあり。」
と答えたそうです。
茶の湯(日常生活)の中に禅の世界を見出し、
「茶禅一味」の世界を確立していきました。
仏様にお茶と湯をお供えした後、一同がお茶を飲みます。
仏様にお供えしたお茶と同じお茶を飲むことで
仏様と一同がひとつになることを願ったようです。
ですからお茶を一同におもてなしする主人の心が
問題になります。
仏様のように心を清め、一同に喜んでおもてなししたいと
心を込めることの大切さを説いたのです。

私も心を改めて
お客様にお茶のおもてなしをしよう・・・
ハッとさせられました。
1年の締めくくりにと・・・・
 

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