スタッフ紹介
いらっしゃいませ!
店長の井上隆と申します。
心を込めて、おいしいお茶をお送りします。末永くご愛顧くださいませ。
ご愛顧ありがとうございます。お客様のご注文に応対しております、井上恵巳子です。
インストラクターとしてお茶の楽しさをお伝えできればと思います!
お茶を仕上げております、  三戸久和と申します。     お客様に喜んでいただける お茶作りをするように     ガンバリます!!

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ちょっとお茶話し
 バックナンバー5  
2004.1.6〜12.12
                                            
NO.44   2004.1.6    
                                                                                                                 
              〇
        ~~~~~~~~~~.・~~~~~~~~~ 
             ~~          
2004年
あけまして おめでとうございます。
今年は、すばらしい年になってほしいですね。
明るい話題と希望ある日本に!



〆〆∞〆〆  茶のルーツを求めて  〆〆∞〆〆

飲むお茶のルーツは中国で紀元前2700年ころという
文献がわかってきましたが、
その用途が漢方薬として使用されていました。
煎茶の効能が今クローズアップされていますが、
そんな昔から判っていたのですから先人達の偉大さを実感します。
そのころの茶樹は、当然人為的に植えたものではなく、
自然に生息していましたので、日本の風景でみる茶畑のように
低いものではなく、伸び放題でなんと5mほどにもなっています。
自然の生命力がみなぎったお茶を飲むことができたのでしょうね。


★☆★ 一年の出発にお肌の手入れ  ★☆★


乾燥しがちな季節。
お肌の手入れが気になりますが、お金をなるべくかけないで
効果的にできれば一番ベストですよね。
せっかく毎日飲むお茶ですので、
この茶殻をそのまま捨ててしまうのはもったいないです。

出がらしの葉を急須に入れて、熱湯でじっくりうるかします。
そのまま洗面器などの注いでください。
抽出したお茶を顔や手につけてます。
あとは水で洗わないでそのままにしてください。
思った以上に効果がありますよ。
せめて、1週間は続けてみてください。
ひび割れぎみな手でも、気持ちよく、すべすべになりますし
膜でカバーされたようになります。
ぜひ試してみてくださいね。
NO.45   2004.2.7    
 いよいよ雪祭りがはじまりました。
街中は、英語、韓国語、中国語、ロシア語などなど
いろんな言葉が飛び交っています。
          


〆〆∞〆〆  茶のルーツを求めて  〆〆∞〆〆

私たちが思っているお茶、
日本のように摘んだお茶の葉を蒸して乾燥する方法や
ウーロン茶のように酸化して釜で炒る方法は
どうやらはじめからされていたようではないみたいです。
お茶の起源といわれる中国雲南省の山岳少数民族は
今でも古来のお茶の作り方を伝えています。

それは、「茹でる」のようでした。
摘んだ茶葉を釜に入れて煮て食べることから始まって、
炒ってから竹筒に詰めていぶして、食べていたようです。
次第に釜で炒ったり、発酵させてウーロン茶のように飲むように
なったというふうにみられています。

今でも粉末にして食べるお茶が市販されていますが
真新しいことではないんですね。






★☆★ 野菜不足にお茶を  ★☆★


アメリカのお話しですが、
ご存知のように肉生活が中心で野菜の摂取量が不足しがちになり、
それが原因で肥満、肺や大腸のガンなどの生活習慣病が
深刻な問題になっています。

その対策で1991年ころから
「5 A DAY」運動なるものがはじめられました。

これは1日5品の野菜、を食べようということでした。
これがアメリカの全国運動となり
現在、生活習慣病による死亡率が着実に減少しているそうです。
その間、日本文化に関心がもたれまして、すし、日本料理も
取り入れられたようです。

その中には、当然緑茶もあり、意外と受け入れてくださったようです。
日本も食生活が西洋化してきてますので、
この生活習慣病が問題になってきています。
こんなときこそ、もう一度日本文化を見つめなおしてみましょう。
野菜の摂取の手助けにお茶も一役買いますので、
1日2〜3回はお茶を飲みましょう。

NO.46   2004.3.7  
春よこい〜 早くこい〜
待ち遠しい季節がいよいよ到来 !
と思ったら、また寒気が・・・
おてんとさまは、じらしやさんですね。

〆〆∞〆〆  茶のルーツを求めて  〆〆∞〆〆

中国では、はじめからお茶を「飲む」という習慣はなかったんですね。
もっぱら「茹で」て食べたり、「薬」としてはじめられていました。
「飲む」という習慣がはじまったのは、ずいぶん後で
約2000年前の「前漢」の時代といわれています。
この時代の上流階級層の一部で、
飲茶という文化がはじまりました。
「飲む」は約5000年のお茶の歴史のまだ半分にもなりません。

前漢の時代に「僮約」(どうやく)という書物がありまして
そこには歩いて往復すると4〜5日はかかる距離で、
荼(茶)を買いに行くことが書かれています。 
また「武陽で買った荼(茶)一斤(600g)と子供の奴隷とを交換する」
といった意味のことが書かれているのだそうです。

お茶と子供を交換するなんて
今では信じられないことですが、
それほどお茶が高価なものだったんですね。
なんとも複雑な感じです・・・・・。
NO.47   2004.4.1  
新年度がいよいよスタート!
私も新入生、新入社員の時を思い返して
新鮮スタートしました。
外見はなにも変わっていませんが・・・・



〆〆∞〆〆  茶のルーツを求めて  〆〆∞〆〆

中国のお茶を「飲む」習慣が約2000年前に
上流階級で始まった頃の値段が
今では考えられない高価な値段だったとお伝えしましね。

当然、一般庶民には買えるわけもなく、飲むこともできませんでした。
当時の飲み方は、団茶と呼ばれる固形茶を焼いて削り、
塩や葱、生姜、みかんの皮などを加えて
煮出して飲むというもでした。

日本でも同じように煮出して飲むもののなかに、番茶があります。
福井県では、民家で秋に刈った茶を干して番茶をつくり、
その番茶を煮出して飲む習慣があります。
また一般にもほうじ茶を煮出して飲みます。
少し変わったものには、富山県の「バタバタ茶」です。
これは、茶釜に茶葉(黒茶)を入れて煮出しします。
そのあと茶碗に塩を少々いれて
煮出したお茶を注ぎ茶筅で泡立てて飲みます。
中国の団茶に塩を入れて煮出す方法に似ていますね。

煮出す飲み方は何か下級のように感じますが、当時の中国では、
それはそれは高価な飲み物でした。
煮出したお茶をもう一度見直しちゃいました。



===  手軽でおいしいお茶料理! ===

  *** ほうじ茶にマーマレード  **

ミスマッチするけどなかなかいける飲み方です。
アツアツの熱湯でほうじ茶を抽出したところに
市販のマーマレード(オレンジジャム)をお好みで入れて
出か上がりです。
ほうじ茶の香ばしい香りとマーマレードの
フレーバーな香りと甘味がなぜか合うんです。
お客様にだされると違った趣向でおもてなしできますよ。
お試しあれ


NO.48   2004.5.9  
新茶はもう召し上がりましたか。
若葉の息吹は、エネルギーをいっぱい吸収しているので
飲むと自分までエネルギーを得たようで力が湧いてきます。
若葉の力はすごい・・・・


〆〆∞〆〆  茶のルーツを求めて  〆〆∞〆〆

中国で高価な飲み物としてのお茶から
一般庶民に広められたのは今から1400年前の唐の時代で、
中国全土へと広がりました。
宮廷で用いられていたのが、各家庭で飲まれるようになり、
茶店も多く並ぶようになりました。
お茶の製法が明確になるのも、この時代です。

この時代に「茶経」を書いたお茶の神様といわれる
陸羽があらわれました。
当時のお茶は、茶摘み後に茶葉を蒸し臼に入れてついた後、
小さく固めて乾燥させた、いわゆる固形茶として保存していました。
この固形茶は臼でつく方法を採っているので、餅茶といわれ、
飲むときにはあぶって粉末にして、それを沸騰したお湯のなかに
入れて抽出します。

これは上流階級の飲み方であるとされています。
一般的には漢代の頃とあまり変わらない、甘草・ネギ・生姜などを
加えた「煮茶」という飲み方をしていましたが、
陸羽はそれを低級なものとして書き記しています。
本格的なお茶の飲み方がいよいよ始まってきました。


NO.49   2004.6.10  
季節も梅雨を迎え、なんとなくけだるくなってしまいますが
気を入れなおしてがんばりましょう。


〆〆∞〆〆  茶のルーツを求めて  〆〆∞〆〆

中国唐の時代のお茶の神様、陸羽が書いた
「茶経」がその後の茶文化の基礎になったことは前回で
お伝えしました。
その中で注目されるのはお茶の入れ方です。
お茶自体は葉茶ではなく、団茶という固めたお茶でしたが
日本茶と同じく摘んだ茶葉を初めに「蒸す」という製法でした。
今の中国のウーロン茶には、蒸す製法はなく発酵してつくります。
茶経の製法は、日本の源流といえましょう。

団茶をどのように飲むかですが、団茶をまず臼で粉末にします。
粉末にしたお茶を沸騰したお湯の中に入れ、そこに塩を少々いれ、
お次は、茶筅(ささら)を使って抹茶のように点てました。
まさに茶道の出発点ですね。


===  手軽でおいしいお茶料理! ===

  *** キウイと抹茶のドリンク  ***

そろそろ暑さもきになってくる頃になりました。
そんなときに栄養ドリンクはかかせません。
そこで今回は「キウイと抹茶のドリンク」をご紹介します。

材料: キウイ  1個
     抹茶   大さじ1杯
     蜂蜜   こさじ1杯
     牛乳   100cc
     御好みで豆乳20cc

作り方:
抹茶は、ふるいにかけてだまにならないようにしておく。
キウイの皮をむいて芯をとってミキサーにかけてくだく。
そこへ抹茶と牛乳と蜂蜜をいれてミキサーにかけます。
できあがったドリンクを冷蔵庫で冷やすか
グラスに氷をいれてドリンクをいれてできあがりです。
キウイと抹茶の豊富なビタミンCがからだを癒してくれそう。


NO.50   2004.7.10
       

北海道の札幌では7月から
「サマータイム」が試験的にはじまりました。
本州より日照時間が1時間多く、朝5時でも明るいですし
夕方7時でも明るいので
「仕事を早くはじめて早く終わる」ことで余暇をつくり
時間のゆとりを持つことができれば、とスタートしました。
これが全国的になって、もっとゆとりのある生活が
早く来るといいですね。




〆〆∞〆〆  茶のルーツを求めて  〆〆∞〆〆

陸羽の功績によって煎茶法(抹茶のような飲み方)が広まり
茶文化を築き上げました。
当時の中国は唐時代で西のイスラム文化と並んで
世界最高水準でした。
栄耀栄華のかぎりをつくしていましたので
陸羽は、お茶を通じて「倹」(質素倹約)を重んじて
当時の風潮を批判したのではともいわれています。

日本の茶道の大御所利休は堺の豪商達の一人でもありましたが
もわびさびを重んじて質素な中に
自然の生命を感じていたのではと思います。
陸羽や利休のとらえ方は、
今の豊かに経済発展した日本にもう一度
お茶の文化として見直されても・・・・。



NO.51   2004.8.10
〆〆∞〆〆  茶のルーツを求めて  〆〆∞〆〆

唐の時代になってようやく日本が茶に接するときを迎えます。
それは奈良時代に遣唐使として
唐の文化を取り入れていた時代です。

遣唐使は今のように毎日派遣されたのではなく、
なんと約30年に1回の割合で舟航し、
1回の派遣で4艘の船で舟航していましたが
まともに4艘全部が帰ったことがほとんどなく、
難破したり、盗賊に襲われたり、病死したりで、まさに命がけでした。
行基というお坊さんがその遣唐使として命がけで唐に渡り、
仏教を学んで帰るときに茶の種子や葉や茶器を持って帰って
種を各地に植えたのが始まりといわれています。

平安時代にも遣唐使として最澄や空海が
唐の文化に触れ、茶の文化を日本にもって行きたいと
帰るときに茶の種子を持ち帰りました。
お茶を持って帰るほど茶文化の良さを感じたのでしょうね。

NO.52   2003.9.13
 
〆〆∞〆〆  茶のルーツを求めて  〆〆∞〆〆
 
 
日本にお茶の文化が入ってきたのは奈良時代に遣唐使として
渡った僧侶行基が茶の種子を持ち帰って日本で植えたと
「東大寺要録」にかかれています。

平安時代になって天台宗の開祖の最澄や真言宗の開祖の空海らが
遣唐使として仏教を修行して帰る際にやはり
お茶の種子を持ち帰って日本で植えたようです。
いずれも仏教とお茶文化がいかに深いつながりが
あったことがうかがえますね。

唐の時代の仏教界でお茶は切っても切れない関係があったようです。
それはお茶を点てることが修行の一部になっていたのかもしれません。
京都の静かなお寺で一服いただくお茶をいただくと
心が休まりなぜか「無」の境地になるのは
大げさかもしれませんががいいものですね。
皆さんも京都へお越しの際はぜひ時間に余裕をもって
お茶のひとときをお寺ですごしてはいかがでしょうか。
 
NO.53   2004.10.9


〆〆∞〆〆  茶のルーツを求めて  〆〆∞〆〆


僧侶最澄が持ち帰った茶の種子は801年に滋賀県大津市にある
日吉大社に植えられたといわれております。
ちょうど大津市の坂本駅の近くにあり、「日吉茶園」として残っています。
日吉大社のかたのお話しでは
「織田信長の焼き討ちによって、日吉大社はすべて灰となってしまい
その後桃山時代以降に再建されたので
今現存する日吉茶園はおそらく
その焼き討ちでなくなってしまい、
その後の再建で再度植えられたのではないか」
ということでした。
もし焼き討ちにされなかったら、樹齢1000年にもなるでしょうに、
残念なことです。

ですが毎年4月13日には茶園で献茶式という行事が行われ、
その年の新茶を摘んで抹茶にして神様に献茶しています。
一度はその献茶式に参加してみたいものです。
当時、お茶は、貴族や僧侶など、高い地位についていた人々だけが、
薬として飲むことが許された貴重品でした。
最澄が日吉にお茶を植えて14年後の815年には、
滋賀の唐崎で、嵯峨天皇が、
最澄の教えを継いだ僧・永忠からお茶をふるまわれた、
という記録も残っています。
嵯峨天皇はその後、京都周辺で、茶を栽培し、
献上するように命じたとあります。

まだまだ一般庶民には縁遠い時代だったんですね。

NO.54   2004.11.9
〆〆∞〆〆  茶のルーツを求めて  〆〆∞〆〆


日本でおそらくはじめてお茶を製造したのは
815年に僧・永忠が、滋賀の唐崎で、嵯峨天皇に
お茶を作ってふるまわれた記録があります。
その僧・永忠について今回お伝えしたいと思います。

永忠は、遣唐使として805年に最澄とともに帰国しました。
最澄は804年に唐へ渡って1年程度で帰ってきましたが、
永忠は、それ以前の777年に渡ってなんと約30年間も唐で修行し、
文化を肌に吸収してきました。
約30年間の滞在中、製茶の方法、煎じ方を学んだのでしょう。
唐の時代のものでしたので、
おそらくお茶を固めて作った団茶だったと思います。
団茶は、今の煎茶のように、「ヨリ」がなく、だんごのように
茶葉をまるめて固めたものです。
飲むときは、削った粉を沸騰した釜に入れ、
かき混ぜて茶碗に入れて飲む方法です。

今のお茶(煎茶など)の味とは違って、
それほど洗練されたものではないと思います。
ですが当時としてみると、貴重な飲み物でした。
嵯峨天皇に献上したお茶もおそらく、永忠が茶を製造して
煎じたものではないかと思います。

永忠がいなければ、茶の製法を知っている人は、
この時代におそらくいなかったと思いますし、
嵯峨天皇に献上茶として作ってさしあげることもなかったと思います。
嵯峨天皇はこの献上茶を飲んで、いたく感激して
全国に茶の栽培を勧めたといわれています。
永忠の功績は大きかったんですね。

NO.55   2004.12.12

クリスマスの予定はお決まりですか。
サンタさんのプレゼントを待っている子供たちはどんなにか
待ちどうしくしていることでしょうか。
サンタさんの由来はよく知られていますが
「セントニコラス」という牧師さんが貧しい人や子供たちに
プレゼントを配ったり慈善事業をしていたことが有名になって
アメリカに伝わって「セントニクラス」「シンタクラウス」と
変形して「サンタクロース」になったようです。
サンタさんは、愛と夢と希望とプレゼントを持って
今も未来も永遠に世界中を飛びまわってほしいですね。



〆〆∞〆〆  茶のルーツを求めて  〆〆∞〆〆


今回はふたたび中国へジャンプ !!
日本にお茶が伝わりだした唐の時代から
「宗」の時代になります。
「宗」の時代は慎ましやかで繊細な文化の時代といわれます。
絢爛豪華な「唐」の時代は豪華貴族生活が横行して
その生活を支える一般庶民は、かなり負担が大きいようでした。
それにひきかえ「宗」の時代になると庶民の負担が軽減され
経済的な発展から、生活水準を向上させることが
出来るようになります。
お茶も唐の時代のように貴族中心の世界から
一般庶民へとかなり広がっていくようになりました。
唐代は、お茶を蒸して固めて作った固形茶が主流でしたが
宗代では様々なお茶が開花します。
散茶(現在の日本茶のような1枚一枚よったお茶)も
この時代からです。

飲み方は唐代と変わらず、鍋や釜で煮出す方法で飲みました。
その他、点茶(抹茶のように粉末にしたお茶)などがあらわれます。
点茶は釜などで煮出す方法ではなく、日本の抹茶のように
茶碗の容器に粉末になったお茶を入れ、
竹製の茶筅で泡立てる方法です。
まさしく日本の茶道の源流といってもいいでしょう。
その他「闘茶」といって、お茶の茶産地や品質を当てる
ゲームのようなことが宋代からはじまります。
様々な階級から親しまれるようになったお茶は、
より美味しく楽しく、創意工夫されて広がっていったのでしょうね。

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